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D-30 122mm榴弾砲()は、ソ連が1960年代に開発した122mm口径の榴弾砲である。 なお、ロシア軍およびGRAUコードでは2A18とも呼称され、西側諸国がD-30の存在を確認したのは1963年であることからM1963 122mm榴弾砲のNATOコードネームが与えられている。 == 概要 == D-30は、第二次世界大戦中の赤軍の師団榴弾砲であったM-30(M1938)122mm榴弾砲を更新する目的で、第二次大戦の後期にドイツが設計したを基に1960年代に設計された。 D-30は、長砲身を採用することで当時の西側製105mm榴弾砲を大きく凌駕する15kmもの長射程を実現しており、反動吸収用のマズルブレーキも装着されている。また、閉鎖機も従来の断隔螺旋式から半自動開閉機構付き垂直鎖栓式に変更され、連射速度も向上している。また、自衛程度の限定的状況において対戦車戦闘も行えるように、直接照準用の照準器と対戦車用の成形炸薬弾も開発されている。 D-30の最大の特徴は、三脚式の砲架を採用している点である〔三脚式を始めとする多脚式砲架は主に高射砲で使用されていたが、第二次世界大戦以降は高射砲自体が廃れていったため現在ではあまり見られない。第二次世界大戦後に設計された榴弾砲は一部の軽量砲を除いて二脚式砲架が主流となっている〕。三脚式砲架を使用することで、D-30は砲自体の方向を調整すること無く文字通りの360度全周囲を砲撃することが可能となった。 牽引時には三本の脚を固定された一本の左右に揃えてトラベルロックで砲身と固定し、砲身先端下部のリングで牽引車両のフックに引っかける。牽引車両には装軌式のMT-LB汎用装甲車、六輪式トラックのウラル-375Dかその後継のウラル-4320、四輪式トラックのが使用される。 砲撃準備には内蔵ジャッキで本体を支えて車輪を持ち上げてから三本の脚を120度間隔に展開し、ジャッキを降ろしてから脚の先端にY字型の駐鋤をハンマーで地面に打ち込み固定する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「D-30 122mm榴弾砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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